ギロウズ夏ツアー ~京都橋本に泊まる 2 ~



今回お世話になる多津美旅館です。

外観こそ作り替えれてはいますが、こちらも元遊廓旅館です。

それでは、おじゃまいたしましょう。


「こんばんはー。」


ガラガラ . . . .






うわぁ~!!!!すごい!!!!

見事なステンドグラス装飾。紳士淑女が踊っています . . . . 。

このステンドグラスを拝みたく、橋本を宿として選んだのです。

中から女将さんが現れ、とても親切に僕らを出迎え入れてくれました。

20時も過ぎ、非常にお腹が空いていたので館内の撮影は翌日お願いする事にします。



ただ、どうしても今だから見てみたかった事がひとつありました。


女将さんに無理を承知でお願いしてみると、にっこりとスイッチをつけてくれました。





実はこのステンドグラス光るんです!!まるで本当に踊っているかのよう . . . . 。

遊廓時代ここはダンスホールとして使用され、客は気にいった女性を見つけ、踊り、一夜を共にしたのです。

この2人が踊るのは一体何年ぶりなのでしょうか?とてもロマンチックでした。


(つづく)

ギロウズ夏ツアー ~京都橋本に泊まる 1~


奈良から大阪経由で橋本の街へとやってきました。


京都府八幡市橋本は京都と大阪の県境、そして「宇治川」「木津川」「桂川」が合流し「淀川」となる場所に位置しています。豊臣秀吉によって京都と大阪を結ぶため淀川沿いに築かれた京街道の宿場町として栄えた場所でもあります。

「宿場町に色街あり!!」

お決まりのフレーズです!!教科書にも出てきますよ!! (出てきません)

全国遊廓案内によりますと、橋本遊廓は

「明治十年に創立、業者75名、娼妓470名、芸妓30名。夜間の不夜城、川岸に歌のさんざめく別世界」

と書かれています。遊廓が廃止され約50年経った今でも多くの妓楼が残されており、当時の賑やかさを想像する事が出来る奇跡とも云える街並みです。

ただ、京都の人に聞いても大概は「橋本ってどこや?」と聞かれる場所です。

大阪から京阪急行に乗り、橋本に着いた午後8時の時点で駅前は真っ暗 . . . . 。

と云うよりもお店が何もありません . . . . 。更にはコンビニすら見当たりません。(駅前に唯一あった商店はすでに閉まってました。)

そんな何も無い橋本が今回の宿泊先になります。

橋本にはどうしても泊まってみたいと思っていた旅館があります。

遊廓に少しでも興味のある方でしたらお気づきでしょうが、今回の宿はこちらです!


多津美旅館さんです。

一泊なんとなんと¥3,500!!朝食付です!!

しかも予約にはFAXを使用 . . . . 。



果たしてどんな旅館なのでしょうか。

ガラガラ

「こんばんはー . . . . 」


(つづく)


ギロウズ夏ツアー ~続、木辻遊廓を歩く~



先ほどの花園新温泉のご主人に教えていただいた旅館を発見しました。





エントランスがもの凄く立派です. . . . 。屋根はドーム状になっています。


玄関先から中を除くと丸窓が見えます…。これは転業旅館に間違いないと確信しました。

いよいよギロウズお得意の登楼交渉が始まります。

帳場から60歳位の旦那さんが出てきました。中を見学させて欲しいとお願いするとすんなりOKが出ました!!

「ここは昭和33年までは遊廓をやってました。売防法後は旅館に転業し今に至ります。僕はギリギリ遊廓を知らない世代で、おじいさんの代が1番賑やかな頃の遊廓を知っている世代です。戦争を境に時代は暗くなり僕らの親父の世代では遊廓というと少し冷たい目で見られるようになりました。所謂赤線時代ですね . . . 。」


遊廓から転業への道のりについて非常に分かり易い説明をしてくれました。


「旅行客はこんな場所まで足を運びません。随分客は減りましたが、今ではバックパッカーで奈良へくる外人客がほとんどです。安くて評判がいいんです。」

ちなみにこちらの宿泊代は、1泊なんと4,000円!!

今日の宿はここに決まり!!

と思いましたが、しっかりと宿泊先はおさえてありますよ。(そちらは後ほど)

因みにお父さんはもの凄くよく喋る方で、遊廓の説明から、何故か電話からインターネット社会への移り変わりまで歴史の流れを事細かく説明してくれました…

約15分の講義が終わった所で、中へとお邪魔いたしましょう。




いゃあ!お見事!!中庭がもの凄く綺麗に手入れされています!!


玄関から覗いていた丸窓の奥は吹き放しの廊下になっており、中庭が展望できます。


トイレとお風呂。どちらもタイル装飾が見事です。こちらは戦後のままとの事。

敷地内は4つの建物が中庭を囲むロの字型になっています。


異世界への架け橋こと、太鼓橋もしっかり架けられています。奥の建物はプライベートルームのため見学は出来ませんでしたが、大正時代に建てられたもので中は洋風になっているそうです。

こちら木辻遊廓の中でも相当の大店だったのでは??

「芸妓も数名在籍していました。ここの廓の中でも大店の方ですね . . . . 。」

やっぱり . . . . 。

それではお二階の客室を見せていただきましょうか



うわぁ~~!!きゃーん!!


横でグルメさんがいろっぽい奇声を発しましたよ。

各部屋それぞれに飾り窓がつけられており、それが部屋の名前になっています。


入船

千鳥

ひさご



どんどんいきますよ!!


丸窓

つき


まつ

桔梗


全部で10部屋、10飾りありました!!これはシャレオツです。



こちらが大階段です。昔と配置は変っているものの見事な和洋折衷です。

古い建物だけあって維持するのがとても大変であり、つくづく嫌になる時があると言っていました。ただ、お父さんご自身が古い物を愛し、残される大切さについて熱く語ってくれました。

遊廓建築は維持が非常に難しく大概は野放し状態になり、取り壊されてしまうものですが、ここまで綺麗に手をいれられている事にとても感動しました。

帰り際、お父さんご自慢の車を見せてくれました。マニア涙もののホンダS600。
ここから15分間、本田宗一郎について今まで以上に熱く語ってくれました . . . .。


奈良へお越しの際は是非静観荘旅館へ泊まってみてはいかがでしょうか?我々も是非ここへ泊まってみたいと思います。お父さんの熱弁トークも楽しめます。静観荘ホームページ
 これにて奈良は終了。駆け足で次の地へと向います。
(つづく)


ギロウズ夏ツアー ~木辻遊廓を歩く~


夏の締めくくりに、関西遠征を行いました。

1泊2日で全6廓を巡る強行スケジュール!!しかも名古屋以上に盆地は暑かった . . . 。

という事で数回に渡り、夏ツアーレポートです!


8月26日午前11:00、ツアーの火蓋が切って落とされました。


名古屋から約3時間、奈良にやってまいりました!!早速、超モダンな奈良駅旧駅舎がお出迎えです。

奈良名物といえば柿の葉寿司!!


一切口にしておりません!!名所東大寺も、鹿も、勿論スルーです . . . 。

我々の手元にあるガイドブックにはこう書かれています。

奈良市木辻遊廓
奈良県奈良市木辻町及瓦堂町の二ヶ所に叉がつて居て、関西線奈良駅で下車すれば東南へ約十三丁の地点である。遊廓としての歴史も古いもので、今より約一千二百年前、元興寺をけん建立する時に、職人、工人、其の他の人々の足留策の一つとして木辻に奴婢(ぬひ)なる者を置いたのが今の遊廓の元祖だと云ふ事である。

(全国遊廓案内より抜粋)


遊廓の歴史はここ奈良から始まったとも云われています。勿論、江戸の吉原よりも歴史は遥かに古いです。

唯一のガイドとなる、全国遊廓案内(昭和5年発行) だけを頼りに木辻町及び瓦堂町へと向います。



ガイドに従い奈良駅から東南へと歩く事15分、廓への道しるべ的存在ともいえる、質屋と銭湯が同時に現れました。


しかし強そうなネーミングです。稲妻温泉とは一体どんな温泉なのでしょうか . . . . ?電流風呂があったら気絶してしまうのでは . . . . 。

なんて事を考えているうちに木辻遊廓の入口へと辿り着きました。


ここにかつて大門があり、いわゆる目抜き通りかと推定します。しかも坂道になっています。

歴史ある木辻遊廓への期待が膨らみます。

それでは廓へと突入してみましょう。



妓楼らしき建物はこの2軒。手が加えられておりいまひとつパンチに欠けます . . . . 。


あっという間に坂を登りきってしまいました . . . . 。あれぇ??

坂を登り上がった所にまたしても銭湯があります。


先ほどの稲妻温泉とは違いなかなかの雰囲気が漂っています。丁度のれんが掛けられる時間で、お爺ちゃんが数人入口にたむろしています。ここで聴き込み調査を行います。

 「坂の道がメインストリートだった。」

 「当時の建物なんてほとんど残っとらん。通りの建物も綺麗に治している。」

中でも90歳近いおじいちゃんは . . . .

 「遊ぶんやったら飛田へ行けばえぇやないか!わしはついこないだ行ってきよった . . . ムフフ。」

こないだが何時かはわかりませんが . . . 中々豪快な方かと (笑)

 「すぐそこに旅館が1軒だけ残っとる。そこは見てきたん??」


あ、そちらはまだ見ていませんでしたね。旅館と来れば期待が膨らみます。

という訳でその旅館へと足を運んでみましょう。


(つづく)